生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

回顧録2012.5.7 告別式

気分を害する内容かもしれません。ご注意ください。






私はお父さんの棺に入れる物を子どもや弟達と考えた。

そして決まったのが、写真と糸電話。

紙コップで作るあの糸電話だ。

片方はお父さん、もう片方は私達。

二つのコップを繋いでた糸は、棺に入れる時に切った。

片方は今も仏壇に置いてある。

いつでも話が出来るように…


式の最後に喪主の挨拶。

私が真ん中、左右に娘と息子でみんなの前に立った。

お父さん、お母さんがお父さんの代わりにちゃんと挨拶するからね!と心でつぶやいた。


本日はお父さんの為にこんなに沢山の方に…

もう初めから泣いてしまった。

でも言いたいことはちゃんと言った。


お父さんはもう居なくなってしまいましたが、ずっとずっと忘れないでいてあげてください。



火葬場は斎場の敷地内にある。

それでも、霊柩車に乗ってゆっくりゆっくりと火葬場に向かった。

火葬場に着くと、お父さんの棺が台車に移された。

お経のあと、最後のお別れです。合掌してくださいとご住職が言った。

火葬炉の扉が開いた瞬間、ゴーという凄い勢いの火の燃える音がした。

私はそれを見て、お父さんの体がもう消えてしまうんだ、もう二度会えないと思った。

悲しかった。息が苦しかった。涙が溢れ出た。


そして、お父さんは火の中へ。

扉は閉ざされた。


拾骨

骨がどこの骨か沢山説明してくれた。

そしたら、手術をされましたかと聞かれた。

黒く焼け焦げた不思議な形の金属が三つ見つかった。多分、手術で頭蓋骨を外して戻した時に留めた時の物だ。

まるで、雪の結晶のような形。ペンダントヘッドのような形をしていた。

私はそれを一つもらった。


本当はこの日はFECの四回目の予定だった。

もちろん延期。

先生は二週間が限界だと言ったけど、とりあえず一ヶ月延期してもらった。

明日からは、やらなければならないことが山ほどあったから、抗がん剤の副作用で具合いが悪いと何も出来なくなってしまう。

市役所、銀行、家庭裁判所、色々な手続きが必要だった。

昼間は忙しくして気が紛れても、夜になると、遺影を見る度にかなしくなった。

会社の人たちが色紙にお父さんへのメッセージを書いてくれた。それを読むと涙が止まらなかった。

それと…

通夜、告別式合わせて100人以上の人がお別れに来てくれたことが分かって驚いた。


お父さん、良かったね。

みんなに見送られて。

お母さん、嬉しかったよ。

お父さんを誇らしく思ったよ。


お父さん、

お疲れさま。

ありがとう。

またいつか会えたらいいね。



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