生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

病院の方針?

お義父さんが亡くなった時と
お父さんが亡くなった時
息をひきとった後の処置の時に
手を胸の上で組んでくれた

この前父が亡くなった時は
体の横に下ろしたままだった

手を組むのが当たり前だと思っていたので
すごく驚いた
私が気づいたのは
全て処置が終わったあとだった
看護師さんも既に出て行ったずっと後

そのことが
今もずっと気になっている

お正月にお父さんの実家にお邪魔した時
お義母さんやお義姉さんに聞いてみた
何故だと思いますか?って

そしたら
ただ単に忘れたのじゃないかって

10年前
お義父さんが亡くなった病院と父の病院は同じだ

と言うことは
やはり忘れたのだろうか
こんなことを忘れるのだろうか

私がこだわる理由は
映画ツナグを観たから

前にも書いたけど
映画本編が終わったあと
エンドロールで
『最上のわざ』の朗読がある
最上のわざが気に入り過ぎて
DVDを買ってしまったほどだ^_^;
その最後の文章が特に気にいっている

だから
父にも合掌して、あの世にいって欲しかった

残念で
残念でしかたがない(._.)
父に申し訳ないとも思う

最上のわざの話を
娘や弟や妹に言っても
誰一人として共感してもらえないのだけど
私は読むだけで涙が出てきてしまう
私もこんなふうに年を重ねて
最期の時を迎えられたらいいなと思う


「最上のわざ」 作者:ヘルマン・ホイヴェルス

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順におのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見てねたまず
人のために働くよりも
謙遜に人の世話になり
弱ってもはや人の為に役にたたずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心で最後の磨きをかける
真のふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
すこしずつはずしていくのは
まことにえらい仕事
こうして何も出来なくなれば
それを謙遜に承諾するのだ

神は最後に一番良い仕事を
残してくださる
それは祈りだ
手は何も出来ないけれど
最後まで合掌できる
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう
来よ わが友よ 汝を見捨てじと
 

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