生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

あの日のこと(T_T)

元気だったお父さんと最後に交わした言葉は

じゃっ!と自室に行こうとした時のお父さんに


おつかれさま!と私



これが最後だった


それから二時間程して

お父さんは倒れた


異変に気づき部屋に私が入った時、お父さんは座ったままの格好で

上半身が左に倒れていた


どうしたのー!と叫ぶ私に

お父さんは

トイレに行こうとしたのに動けないんだよ

と、応えた


お父さんのそばには、丸めたティッシュが二つ位落ちていた

お父さんを良く見たら

よだれが出ていた

多分、自分で拭いたのだろう


右手右足は、しきりに動かすのに

左手は全く動かさない


私はマヒしてるんだ!と

とっさに感じた

頭だ!

早く救急車!


お父さんを娘に見ててもらって

私は119に電話をかけた

手が震え

声が震えて

怖かった…


悪夢のようなあの日…


翌日には意識がなくなり

4度の手術

2度の転院

その間もお父さんは一生懸命生きていた


今でも考える…

お父さんは、そんな状況をどう思っていたのだろうか

自分がどうなってしまったのか

分かっていたのだろうか


もし、分かっていたとしたら

寝たきりになって

何も出来なくなってしまったことが

どんなに辛かっただろうと

かわいそうでしかたがない


いろんなことを諦めたのかなと思うと

涙が止まらないのだ


一人では、何も出来なくなってしまったお父さん

唯一動く右手だけが

お父さんの意思表示のツールだった


覚醒の状態が良い時

これも、良い日ではなく

良い時であって、さっきは反応したのに

今は無反応

のような…


状態が良い時には

私の声かけに、右手で応えてくれた

もっと良い時には

頷いたり、顔を横に振ったりして応えてくれることもあった


私はお父さんが応えてくれる度に泣いていたよ(>_<)


お父さん、すごい!

お母さんの言ってることが分かるんだね!

と嬉しくて

ボロボロと涙が流れた


冬になる頃

お父さんが喋ったと

看護師さんやヘルパーさんから言われることがあった


私が乳がんの手術で入院中…

お義姉さんからメールがきた

◯◯がいま喋ったよ!

私と子ども2人の名前を言ったって


あの時はめちゃくちゃ嬉しかった

すぐにでもお父さんに会いに行きたかった


そんなふうに

ほんの少しずつだけど

良くなってたお父さん


それなのに

何故か死んでしまった


死因は急性心不全

原因不詳


なんで、心不全になったのか…

きっと

誤飲性肺炎だ

そうに違いない

私はずっとそう思っている


死ぬ2、3日前からむせることが多かった

熱もあった

呼吸もいつもより荒かった


それでも経鼻栄養を続行していた

朝から夜までずっと、途切れることなく流し続けていた

あの病院のせいだ…


なんて恨んでも

お父さんは還っては来ない


ただ…

時々思い出して

悔しくて

憎たらしく思ってしまうのだ


悪夢…

夢だったら良かった。


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