生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

ずっと淋しかったのだね

父は19歳の時

母親を亡くした

父親や兄、弟もずっと昔に亡くしている



父の手帳に

こんなことが書いてあった



19の時、母が死んで

本当にひとりになった

母や父、兄や弟のところへ行こうと

自殺を図ったが

⚪⚪さんに助けられ、病院で目を覚ました

拾われた命…

こんなにも長く生きている意味はあるのだろうか



父は私の母と離婚した後

住むところを転々と変え

自由に勝手に生きていた

その間にも

突然、私たちの前に姿を現したり

また、どこかへ行ってしまったり…

独り身で、自由気ままな人だなと

ずっと、ずっと思っていた


パチンコが大好きで

収入の多くをパチンコに使ってしまう生活

家族が居るわけでもない父にしてみたら

仕事をして、パチンコをして、

てきとうに生活しても

誰の迷惑にもならないわけだ


父が元気だった頃

数ヶ月に一度くらい、電話が来ていた

私だけにではない

妹や弟、姪や母にも


でも、みんな

ほとんどの場合、電話に出なかった


どうせ、またいつもの

どうでも良いような話

何回も同じ話を繰り返して長い

相手にしなかったのだ


本当に用事がある時には

留守番電話にメッセージが入っていて、折り返し電話したりしていた


もしかしたら

用事がなくても

声が聞きたいと思って

誰かと話がしたくてかけて来たのかもしれない

みんなに邪険にされているのを分かっていても

それでも話がしたかったのかもしれない


でも

弟は比較的、父の電話の相手をしていた方だ

今回の入院の件も弟が最初に聞いた


いつ電話をしても出ない私たちのことを

父は一度も愚痴ったり、怒ったりしたことはなかった

父は多分

全部、自分がして来たことが原因だと

自分が悪いのだからと

考えていたのかもしれない

父に実際に聞いたわけではないので

本当のところは分からないけど

私はそんな気がしてならない


だから


だからきっと

ひとりでさみしくても

諦めていたのかなと思う


こんなことも手帳に書いてあった

何年か前に書いたようだ


別れた妻

家庭を持った子どもたち

みんなそれぞれの生活がある

私の入る余地はないのだろう…


きっと父は

淋しかったのだろう



父の部屋は物でいっぱいだったらしい

写真もたくさん飾ってあったり

人形やら置物とか色々な物を飾っていたらしい


らしいと言うのは

実際に見たことがないからだ

父の話や部屋の写真を見ると

そう感じた


部屋を物でいっぱいにしていたのも

電話をかけてきたのも


ひとりで淋しかったからなのかもしれない

と今は思ってしまう


今さら

どうすることも出来ないけれど…


じいちゃん

ごめんね

本当にごめんなさい

気づくのが遅いよね

ごめんなさい


そう言いながら

ただただ涙が流れる

どうすることも出来ないことが

苦しくて

胸の中がぐちゃぐちゃで

ため息と涙しか出ない


じいちゃん


ごめんね。


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