生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

半分こ

2011年3月に倒れたお父さん

最初に運ばれた病院には3ヶ月いた

期限が3ヶ月だったから。

次の病院には10ヶ月

期限は6ヶ月だったけど。

最後の病院には無期限だったのに

たったの9日間だけしか居なかった。


お父さんは死んでしまった。


お見舞いに

私の治療が始まってからは

あまり会いに行けなくなってしまったんだよね…


病院へは送迎バスに乗って行っていた

バスが病院に着くと、急いで降りて

早歩きでお父さんの居る病室まで行った

『おとーさん!おはよう お母さん来たよー!』

と言いながらお父さんの顔を覗き込む

お父さんは左側が麻痺していたけど、動かせる右手にはミトンを着けていた

経鼻栄養のチューブを抜いてしまうから。

だから、私が居る間はミトンを取って自由にしてあげていた

もちろん経鼻のチューブには気をつけて。


髭が伸びていたら

シェーバーで剃って、お湯で洗ったタオルで顔を拭いて、お父さんがお気に入りだったローションを塗ってあげていた

耳そうじや爪切りもしたなぁ

歯磨きや舌を拭いたりもしたっけ。 


一通り終わると

私は椅子に座って、お父さんの右手を握って

ひたすら話しかけてた

まわりからしたら、まるで独り言

返事がなくても

お父さんは聞いている

分かってくれているって思っていたから

私はそれで良かった。

でも

調子が良い時には呼びかけに

右手でピースやオッケーで応えてくれることもあった。


『お父さん、ウォークマン聴こうよ!イヤホン一個づつね!半分こだ』

って一緒に聴いてた。



今日、ウォークマンを久しぶりに使っていたら

お父さんと一緒に聴いた曲が流れてきた

そしたら、入院中のことをたくさん思い出した。

忘れてしまいたいわけではない 

ただ辛い。


お父さんのお墓は、二軒目の病院から近いところにある

お墓に向かう途中に病院が見える

見ないように意識しているのに、道沿いの病院の看板が目に入ってしまう

入院中の色々が

頭をよぎる

忘れたいわけではない

思い出すのが

今はまだ辛い。


お父さんが死んで少し経った時

その病院の看護師さんとヘルパーさんが、お焼香に来てくれた。

帰り際に看護師さんが言った

『病棟に遊びに来てくださいね』


先生も看護師さんやヘルパーさんも皆さんいい方ばかりの病院だった

だから会いたい気持ちはある

でも

無理だよ

生きていたお父さんがいた場所だもん

お父さんの姿を思い出してしまう

そんなの

無理

泣かないでいる自信が全然ない。


いつかは行けるのかな

お世話になった皆さんに笑顔で

お礼を言いに。



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