生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

ボロボロ

お父さんが倒れて二ヶ月して今のマンションに引越してきた。

以前住んでいたマンションは、3LDKで、玄関からリビングまでの廊下の途中に洋室が二つ、12畳のリビングの横に和室が一つ。

今のマンションは、3DKで築35年、歩くとそこら中へこむ。

三つある部屋はダイニングを囲むようにみんなくっついてる。

電気の容量も30Aが限界だから、エアコンも一台しか取り付けられない。

オートロックでもないし、エレベーターもない。

マンションの階段や廊下はいつも砂ぼこりやゴミが散らばっている。

強風で雨が降る日は、窓のサッシの隙間から雨が滲んで入ってくる。

マンションと言うのは恥ずかしい外見で、まるで団地みたい。

家賃は以前住んでいたマンションの半分。

私も子どもも今のマンションがイヤでしかたがない。でもね、身分相応なんだと分かってる。

お父さんが倒れた時、収入が私のパート分だけになり、生活するためにはまず家賃を抑えなきゃならなかった。

不動産屋を何軒まわったのだろう。

なかなか見つからなくて、でも早くしないと次の家賃を払わなければならない。お義姉さんも一緒に探してくれた。

やっと今のマンションが見つかって、契約しようとしたら、私は審査に通らなくてお義姉さんが契約してくれた。

引越しも、お父さんの元いた会社の社長や社員の人たちが引き受けてくれた。

引越しの日は、息子の体育祭で、私見に行ってあげられなかったんだ。


市役所にも何度も行った。

市営住宅のことや、何か援助してもらえる策はないかと必死だった。

結局、あの時にすぐに受けられる援助は何もなかった。

全て、お父さんの前年度分の収入で決められてしまうから。あとは、病気になって半年過ぎたらとか、障がい者認定されてからとか。

生活保護の話も聞いたけど、それもだめだった。

お父さんの心配、生活の心配で、あの頃の私はどんな気持ちでいたのだろう。

思い出そうとしても思い出せない。

きっと必死だったのだろうな…

私がしっかりしなきゃって、ヤル気満々だったのだと思う。


今日、このボロボロで狭い部屋に私と子ども二人が、みんな目の届く位置でそれぞれに何かしてる。

三人で一緒に何かしてる訳ではなく、それぞれが別々。それなのに、みんな見える位置。

なんだかね…

勝手なもので、ひとりになるとさみしいのに、みんながいるのもうっとうしいと思ってしまう。


身分相応。


そうだよね。

贅沢は言っちゃいけない。

住む場所があって、ごはんを食べられる。

これはお父さんのおかげなんだから。

感謝しなきゃね。

文句言ってごめんなさい。


お父さん、

どうもありがとうね。



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