生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

回顧録2012.4.30お義姉さんと一緒に

暑い日だった。

お父さんの着替えを入れる、プラスチックの収納タンスを病院の近くのホームセンターで買って、バス停ひとつ分歩いて行った。ヅラの私は汗だくになった。

病室に着いて、タンスに着替えを入れたり色々持って来た物を片づけた。

そして、通販で買った血栓予防の靴下をお父さんに履かせようとした。

赤ちゃんもそうだけど、自分で靴下を履こうと意識しないのと同じで、お父さんも足に力を入れてくれない。ぐねぐねだ。

あの靴下はずごくピチピチだから、余計に履かせにくい。

お義姉さんと二人でやっとの思いで履かせた。

お父さんの様子は、やっぱりトロトロとしてはっきりしない感じだった。

驚いたのが、

経鼻栄養、お父さんの食事のこと。

この病院では朝昼夕の食事を朝10時から19時まで、ずっと流しっぱなし。朝の分が無くなるとすぐに昼の分、夕方の分と言う感じで9時間流しっぱなしだった。これでは胃が休まるヒマなんてないと思う。

前の病院では、普通の食事のように朝昼夕で時間が決まっていて、二時間位だったか?一食分を流し終えて

いた。

あまりにも不思議だったので、私は看護師さんに聞いた。

例えば、お風呂やリハビリの時はどうするのか。

そしたら、その時は止めて戻ったらまた流します。

当たり前だけど、お父さんの食事は液体だ。お風呂やリハビリだから一旦止めたって、胃の中は満杯のはず。体を動かしたら逆流しないのだろうか?するでしょ?赤ちゃんだってミルク飲ませた後はゲップさせるじゃない。

お父さんの場合、胃の入口のチューブから流れ出たら大変なことになる。気管に入り肺炎になることもあるのに。

前の病院では流し終えても一時間位はベッドを起こしたままで安静にさせていた。

この病院は人手が少ないからなのか、何なのか知らないが、かなり驚いたことだった。

今思えば、むせて咳をよくしてたのは、そのせいだったのかもしれない。


お義姉さんが言った。

『前の病院の時、会社の人達がたくさんお見舞いに来てくれたじゃない。その人達にまたこの病院も教える?』

私はその時、転院して来て落ち着いたら教えるつもりでいた。

お義姉さんがなぜそう言ったのか

この病院があまりに古くて陰気で印象がよくない。きっと◯◯も(お父さんの名前)イヤだと思ってるんじゃないかなと思って。とお義姉さんが言った。

言われてみればそうだと思った。

私はお父さんの刺激になれば、意識障害のリハビリになると思って、お父さんの知り合いに来てもらっていた。

でも、お父さんは本当はイヤだったかもしれない、変わり果てた姿を同僚や部下に見られたくなかったかもしれない、恥ずかしかったかもしれないと気づいた。

だから、しばらくは、無期限だけどお見舞いは遠慮してもらうことに決めた。



サヨナラまであと5日


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