生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

みんな生きている

今日も乳がんの話ではありません。

里親探しの話。


もう、5年位前のこと。

息子が小学校で飼育委員になり、うさぎのお世話をするようになった。

息子の小学校では予算が不足してるとかで、うさぎのエサは給食の残りの野菜が主だった。

うさぎ小屋は三つあったけど、オスメスを分けていなかった為、子どもがどんどん生まれ、ピーク時で20羽近くにもなっていた。

私はそんな状態を知ってしまったことを正直、後悔した。

知ってしまったからには放っておけないのだ。


そして、うさぎのお世話が始まった。

夏の暑さ、冬の寒さを緩和するために、お父さんまで引き込んで、あれこれ考えよくホームセンターに買い物に行った。日曜大工だ。

エサも買ったし、野菜も買った。

時には先生に改善を求めたりもした。

冬の雨の日、仕事帰りに小屋にいくと、小屋に雨が吹き込んでうさぎたちはずぶ濡れになって身を寄せ合っていた。あまりにもかわいそうで、私は半泣きで職員室に怒鳴り込んで行ったことがあった。今思えば、ただのモンスターペアレントだったかもしれない。


気がつくと、週7日、朝と夕方にうさぎ小屋に行くようになっていた。


そして、私ひとりではどうしようもないと思うようになった。

だから、インターネットで里親を募った。

最後の1羽が里子に出たのは、息子が中1になった夏だった。


うちのそうちゃんも、小学校から迎えた子。


という長ったらしい前置きをしたのは、

昨日、里親になってくれた一人のYさんに久しぶりに連絡をしたからだ。

Yさんが迎えてくれたうさぎは、そうちゃんのママ。

でも、もう2年前に亡くなってしまった。


里親探しを通して、たくさんの人に知り合い協力してもらった。

一人では出来ないことも、協力し合えば成せることがあると身を持って感じたことだ。

最後の1羽を里親に出した後、校長にお願いした。

予算がないなら、きちんと世話が出来ないなら、生き物は飼育しないで欲しいと。やっぱりモンスターペアレント

5年経った今、うさぎ小屋は物置となっている。

Yさんをはじめとする、里親になってくれた沢山の人たちには、感謝の気持ちでいっぱいだ。


どんなに小さな命でも、粗末にしてはいけない。

当たり前だけど、見過ごされているように思う。

命の価値に大きさは関係ないのだと思う。

みんな、生きている。

私も生きている。

それはやっぱりキセキなのだと思う。


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