生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

2011.3.28

二年前

の3月28日は月曜日だった。

前日は日曜日だったのと、娘の短大入学のお祝いということで、お父さんの実家へお邪魔した。

お寿司やお義母さんやお義姉さんのお料理をごちそうになり帰ってきた。


そして翌日、28日はお父さんも私も仕事。

当時、中一の息子は週二回、夕飯を作る係りだった。

その日も息子が作った。

確か、豚肉とピーマンの炒め物だったと思う。

それに、私がもう二品位作ったのかな…


その日お父さんは20時半過ぎに帰宅した。

いつもお父さんは、帰りにコンビニでお酒を一缶買って帰ってくる。

その日はハイボール


着替えを済ませ、手を洗ったお父さんが冷蔵庫の前で『なぁ〜んだょ』と叫んだ。

何かと思ったら、氷がないって。

かなり残念だったらしい。うなだれていた(笑)

お父さんはいつも、お気に入りの陶器グラスに氷を山盛りに入れ、そこにゆっくり、そっとお酒を注いで飲んでいた。

その日は氷なしで缶のまま飲んだ。

おかずは息子の炒め物。


これが、お父さんが最後に口にした物だった。

その後、二時間位して倒れた。


倒れてすぐに、意識があったお父さんは、私に言った。

『トイレに行こうと思ってるのに、足が動かないんだよ。』

布団に座っていたお父さんは、左側に上半身が倒れて、失禁していた。

右手で自分の左手を持ち上げながら『これ、なに?』

左側が痲痺してると思った。

すぐに救急車を呼んで病院へ搬送された。

救急車の中でも、病院に着いてからも、意識はあり話が出来ていた。

先生からの説明では、脳出血、範囲は6センチ。手術で血腫を取るか取らないかギリギリのところ。

まずは止血の治療をして、再出血があった場合は手術。

残念ながら、左片麻痺は残るでしょう。

と説明された。

帰り際に、もう一度お父さんに、会った。

『お父さん、分かる?大丈夫?』

『お母さんたち、帰るけどまた明日来るから。頑張ってね』

ずっと動く右手を握りながらはなしかけた。

お父さんは『大丈夫、うん、うん、』と言いながら、握っている手をギュッギュッと握り返してくれた。

帰り道で、娘と息子と泣きながら話したことがある。

『お父さんさ、半身麻痺になっちゃったけど、自分じゃ何も出来ないかもしれないけど、それは残念で悲しいことだけど、それでも生きていてくれるんだからいいよね、みんなで頑張ろうね』

と。

こんなこと子どもに言ったけど、本当は私が自分に言い聞かせていたのだったと思う。

その翌日、病院から連絡があった。

早朝に意識がなくなった。緊急手術をするので、すぐに来てと。


それから、半年の間で四回手術した。

でも意識が完全に戻ることはなかった。

一年二ヶ月の入院生活の中で、(会話)をすることは一度もないまま死んでしまった。

倒れた二年前のあの日『明日来るから。』『うん、うん、』が最後の会話だった。


あれから二年。

あっと言う間の二年だった。

二年前の今日は、お父さんが元気で居られた最後の日。

朝からその事が、ずっと頭から離れない。

そして思いついた。

今日は氷山盛りのお酒を飲んでもらおうって。

最後の日に、がっかりしてたお父さんを思い出すと悔しくて悲しくて。


お父さんが倒れてから、我が家の冷凍庫から氷が消えた。作るのをやめた。氷を使う人はもう居ないからだ。

だから、今日はロックアイスを買ってきた。

そしてお寿司も。


2012年の今ごろは私の抗がん剤治療が始まった頃。

そして2013年の今日は、

ポカポカの良い天気、桜が咲いてる。穏やかな日だ。

娘は、研修に、私と息子は回転寿司でお昼ごはん。


どんな事が起ころうと、何があってもなくても、時間だけは確実に進んでくんだね。


お父さん、

お父さんの時間は止まったままだよ。

どんな事が起ころうと、何があってもなくても、お父さんの時間は止まったまま。

悔しいけど、お母さんにはどうする事も出来ない。

でも、お母さんは忘れない。

いいことばかりじゃなかったお父さんとの思い出も全部、忘れないから。

ねっ!お父さん


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