生きているキセキ 〜The miracle of being alive〜

私と娘、息子、そして天国の夫のハナシ。

罪ほろぼしの時間?



お父さんが脳出血で倒れてから亡くなるまでの一年と一ヶ月。

これが私に与えられた罪ほろぼしの時間だったのだろうか。もちろん、その時は罪ほろぼしをしてるつもりなんてなかった。



お父さんが元気だった頃、私は良い奥さんではなかった。

お父さんが帰って来る前に寝てた。

お父さんの物だけ洗濯を別にしてた。

汚い、臭いって言ってた。

お父さんのこと、嫌いではないけど、好きでもなかった。お父さんより娘や息子が好きだった。

いっぱい申し訳ないことを言ってた、してた。


お父さんが倒れてから始めの三ヶ月は、毎日病院に会いに行っていた。

目も開けない、ただ呼吸をしてるだけのお父さんに、いっぱい話しかけた。握っても動きもしない、ただ温かいだけのお父さんの手をずっと握って話しかけた。


ある日、目を開けた、手を動かした、ため息をついた。

少しずつ良くなっていた。


お父さんと出会ってから23年、あんなにお父さんに触れたことは多分なかったと思う。あんなにも毎日、お父さんのことを想ったことも。

ヒゲを剃ったり、爪を切ったり、耳掃除、鼻毛も切った。

髪を撫でたり、顔を触ったり、身体をさすったり…

私はお父さんのベッドの横でずっと喋ってた。お父さんにはちゃんと聞こえてる。そう信じてずっと喋ってた。独り言のように。

でも、半年過ぎた頃からは時々だけど、意思表示が出来ることがあった。手でOKってしてくれたり、バイバイもしてくれた。

嬉しかった。嬉しくて泣きながら『お父さん、すごいね!』って手を握った。

私の名前や娘の名前を言ってくれたこともあった。

『おはよー』も言ってくれた。


私の乳がんが分かってから…


手術して、抗がん剤治療3回終了、4回目を目前にお父さんは突然亡くなってしまった。


もしかしたら乳がんになったこと、手術や抗がん剤治療も全て罪ほろぼしだったのかもしれない。

私は、それくらいお父さんに対して悪いことをして来たのだと思う。


お父さんは私を許してくれたのだろうか。

お父さんが居ないこの世界で生きて行くことも、罪ほろぼしなのかもしれない。


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